青い空がみたい
青い空と白い雲がみたい。白くかすんだ煙みたいな空は嫌だ。だから私は山に登る、山の上の空は青い。だけど関東平野の山すその田舎町の空は白い。春から夏になっても空の色は白いままだ。だけど大雨が降ったり台風が来て、空が大荒れすると次の日には青い空がある。だから青い空が無くなった訳ではない。月から見た地球が青いのと同じ色の青い空がある。私は青い空が好きだ。
だけど南風が吹くと空の下は真っ白の濁った不透明なオブラートのようになり、山から見た関東平野は地平線すらなく空も平野も見えずに霞んでいる。
こんな日には山のむこうも、まだむこうの山も白いもやがかかり山の形さえ見せてくれず、白いもやはそのまま空と同じになる。
この不透明な空気は一体なんなのか私には判らない。
だけど昔を知る人は関東平野は平野の色だったという。平野の色ってのは透明な空気の事だと思う。空気が澄んでどこまで遠く見えるから、緑の大地が見えたのだと思う。
この緑の大地を私は見た。
私は函館に住んだ事ががある。函館山から見る山や空はどこまでも透明な色だった。自然そのものの町だから空の星だって輝いている。土星だって小型の望遠鏡で、はっきりと輪がかかっているのを見る事ができた。天の川が空にはっきり見えたのも函館の空だった。函館山から見る、函館の夜景がダイヤモンドのように輝くのは空気が澄んでいるからだ。だって雨まじりのもやが出ると山は白く濁り、私の住む関東平野の山すその田舎町と同じ色になる。
冷たい木枯らしが、渦巻き、北風が吹くと、私の家の上空は青く輝く。だから灯油が高くても、電気代が高くても青い空があるのなら私は我慢出来る。
森が泣いて枯れ出す前に、熱波が湧き出す前に、この白いもやが取れたらいい。森の酸素が人間を守っているのだから、人は森を守るしかない。
だから私は小さな庭に、実がなり、花の咲く木を植え緑を作っている。雨水が木々に流れるように溝を作ってある。夏は緑のカーテンで部屋の温度を下げている。
地球温暖化で私の庭に、見知らぬ花が咲いてもうれしくない。気候が変わって咲く花はなんか不気味な感じがする。
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